Contents
【深掘り解説】『マイ・インターン』に学ぶ、現代アメリカの働き方と世代間ギャップのリアル
先ほどの記事では、『マイ・インターン』に登場する珠玉の英語フレーズをご紹介しました。しかし、あの言葉たちがなぜあれほどまでに私たちの心を動かすのか、その本当の理由を知りたくはありませんか?
セリフの背景には、私たち日本人には少し分かりにくい、アメリカのスタートアップ文化、女性リーダーを取り巻く現実、そして「引退」に対する価値観が深く横たわっています。
この記事では、綺麗事では終わらない「なぜ?」に踏み込んでいきます。
- なぜ、あれほど完璧に見えるジュールズが、夜中に一人で涙を流し、夫との関係に苦しんでいたのか?
- なぜ、70歳のベンは若者たちの「最高の友人」になれたのか?それは本当に、彼の人柄の良さだけの問題だったのか?
- そして、この物語が描く「理想の職場」は、現実の私たちにとって、本当に実現可能なのか?
これらの問いの答えを知ることで、あなたは『マイ・インターン』という作品を、他の誰よりも深く、生々しく、自分自身の物語として理解できるようになるでしょう。
1. スタートアップ文化と伝統的職業倫理の融合
この映画の面白さの核は、インターネットの速度で動くECサイト「About The Fit」の”今どき”な職場に、電話帳を作っていた時代の”古き良き”紳士ベンが飛び込むことで生まれる化学反応です。
ビジネススタイルの視覚的対比:スーツ vs Tシャツ
ベンは毎日、きれいにプレスされたスーツに身を包み、磨き上げられた革靴を履いて出社します。彼のデスクには、年代物のブリーフケース、ペン立て、そして卓上時計が整然と置かれます。
BEN: “I’m comfortable in a suit, if it’s okay.” (スーツの方が落ち着くんです、よろしければ)
JULES: “No, sure, it’s fine. Old school.” (ええ、もちろん。古風でいいわ)
BEN: “Exactly. At least I’ll stand out.” (その通り。少なくとも目立ちますから)
一方、ジュールズをはじめとする社員たちは、Tシャツ、パーカー、ジーンズが基本。社内を自転車で移動し、会議もスタンディングで行うなど、そのスタイルは徹底してカジュアルでスピーディーです。この視覚的な対比は、単なるファッションの違いではありません。それは、「秩序と経験」を重んじる伝統的な労働倫理と、「スピードとフラットな関係性」を信奉するスタートアップ文化の衝突と融合を見事に象徴しているのです。
多世代協働の価値:ベンがもたらした「静かな革命」
当初、ジュールズはベンのような「年配者」を「扱いにくい存在」と見ていました (I'm not great with older people.
)。しかし、ベンは決して自分の価値観を押し付けません。彼はまず、観察し、耳を傾け、そして行動で示します。
- 誰もが「邪魔だ」と思いながら放置していたゴミの山を、率先して片付ける。
- 若い同僚の恋愛相談に乗り、的確なアドバイスをする (
I assume you've talked to her, apologized...?
)。 - ハンカチを差し出す (
Women cry, Davis. We carry it for them.
)。
これらは、利益に直結しない「非効率」な行動に見えるかもしれません。しかし、彼の行動は、殺伐としがちだった職場に**「敬意」「信頼」「思いやり」**という人間的な潤いを取り戻していきます。結果的に、彼の周りには自然と人が集まり、組織全体のパフォーマンス向上に繋がっていくのです。これは、多様な価値観を持つ人々が共に働く現代の組織において、数字だけでは測れない「心理的安全性」がいかに重要かを教えてくれます。
日米の雇用観の違い:「シニア・インターン」はなぜ生まれたか?
日本では「インターン」といえば学生が主流であり、「定年後の再雇用」も限定的です。ではなぜ、アメリカの急成長ベンチャーが「シニア・インターン」などという一見、非効率なプログラムを導入したのでしょうか?
その背景には、**CSR(企業の社会的責任)とダイバーシティ&インクルージョン(D&I)**という、現代アメリカ企業にとって極めて重要な経営思想があります。特にIT業界では、従業員の年齢や人種の偏りが問題視されることが多く、多様な人材を確保すること自体が、企業の競争力であり、社会へのアピールになると考えられているのです。キャンディスがこのプログラムを「地域社会への貢献 (outreach program
)」と説明したのも、まさにこの文脈からです。ベンのようなシニアの存在は、組織に新しい視点をもたらし、イノベーションを促進する「戦略的投資」と見なされているのです。
2. 女性リーダーシップと、そのリアルすぎる代償
ジュールズは、誰もが羨むサクセスストーリーの主人公。しかしその裏側で、彼女は成功と引き換えに、多くのものを失いかけていました。これは、単なる「働く女性の問題」ではありません。現代を生きる全ての人が共感しうる、普遍的な葛藤の物語です。
“最強のCEO”が流す、ひとりぼっちの涙
投資家から「経験豊富な男性CEO」を雇うよう圧力をかけられるジュールズ。これは確かに外部からのプレッシャーです。しかし、彼女を本当に苦しめているのは、それだけではありません。
JULES: “I know how to do the — make him feel like a man thing, you know? And anyway, is that even what I’m supposed to do? I mean, that’s an exhausting endeavor.” (彼を男らしく感じさせる、っていうアレをどうやるのか…。そもそも、それって私がやるべきこと?正直、疲れ果てるわ)
サンフランシスコのホテルの一室で、彼女がベンに漏らしたこの本音。彼女を追い詰めていた本当の敵は、「成功したCEO」と「良き妻」、その両方を完璧にこなさなければならないという強迫観念、つまり彼女自身の「完璧主義」だったのかもしれません。自ら顧客対応の電話を取り、配送の梱包までチェックし、深夜までメールを送る。彼女は、誰にも弱みを見せられず、全てを自分でコントロールしようともがくことで、結果的に心身をすり減らし、最も大切な夫との距離を広げてしまっていたのです。
本音のツッコミ: 成功すればするほど孤独になる、というのは皮肉な真実です。女性が管理職やリーダーになるのを阻む目に見えないガラスの天井(glass ceiling)がある、というのは以前から言われていましたが、近年、逆に経営危機のような困難な状況でこそ女性がリーダーに起用されやすいという**『ガラスの崖(Glass Cliff)』**と呼ばれる現象も指摘されています。その理由はいろいろあるのですが、プレッシャーのかかる立場なのは確か。ジュールズの状況は『ガラスの壁』とは異なりますが、会社の重要な局面で「経験豊富な男性」による監督が必要だと判断されるのは、彼女が直面する偏見?なのかもしれず、また、プレッシャーのかかる立場なのは同じですね。 McKinsey & Companyの調査(2015年)によれば、当時、企業の最高幹部レベル(C-suite)に占める女性の割合はわずか17%。この数字は、彼女が感じていたプレッシャーが、いかに現実的で構造的なものであったかを物語っています。
“理想の夫”の悲痛な叫び:『僕らは新しい足手まといだ』
この物語のもう一人の主人公は、専業主夫のマットです。彼は決して、単純な「浮気したダメな夫」ではありません。彼は、現代の男性が直面する、新しい形のアイデンティティ・クライシスの象徴です。
MATT: “See what men have become Ben? We’re the new ball and chain.” (見てくださいよ、ベン。男がどうなったか。僕らは新しい足手まといですよ)
※ball and chain 「足手まとい」や「(行動を)束縛するもの」囚人の足首につけられた、逃亡を防ぐための鉄球付きの足かせを指す言葉、から由来しています。夫が妻のことを冗談めかして、あるいは皮肉を込めて「足かせ」や「束縛する人」という意味で呼ぶ際に使われたりしていたのですが、ここではマットが自分のことをこう表現して嘆いているのですね。
このセリフは彼がどれほど深い無力感に苛まれていたかを物語っています。元々は彼の方が成功していた。しかし、妻の成功のために自らのキャリアを犠牲にし、育児に専念する。その決断は崇高な自己犠牲に見えますが、社会からは「ヒモ亭主」、ママ友コミュニティでは「唯一のパパ」として扱われ、彼は徐々に「自分は何者なのか」を見失っていきます。
彼の葛藤は、個人的なものに留まりません。Pew Research Centerの調査によると、アメリカでは2000年から2016年の間に専業主夫の数が7%増加しており、彼の姿は、社会の変化の狭間で新しい役割を担うことになった男性たちの、静かな、しかし切実な声を代弁しているのです。彼の浮気は、決して許されることではありませんが、それは失った自尊心を取り戻すための、歪んだ自己承認行為だったとも言えるのです。
この二人のすれ違いは、「どちらが悪い」という単純な話ではありません。急激な成功と役割の変化が、かつて愛し合った二人の歯車を、少しずつ狂わせていった。そのリアルな痛みが、この映画に深みを与えています。
3. 世代間ギャップは友情のスパイス? — 理想と現実の歩き方
「世代の違う者同士が学び合う」― 言うのは簡単ですが、現実はそう甘くありません。70歳のベンが、20代、30代が中心の職場で「最高の友人」になれたのはなぜか。それは、彼が払った「見えない入場料」と、彼が貫いたある哲学があったからです。
リバース・メンタリングは綺麗事?—ベンが払った”見えない入場料”
ベンが若者たちの信頼を得られたのは、彼が生まれつきの聖人だったからではありません。彼は、必死に「学び」、相手に「与え」、そして決して「威張らなかった」のです。
- 学ぶ謙虚さ: 彼は応募ビデオで「9歳の孫にUSBコネクタが何か聞いた」と正直に告白します。オフィスでは、動かないPCの前で途方に暮れ、若者に助けを求めます。この「知らないことを知らないと言える勇気」が、若者たちの警戒心を解きました。近年ビジネスの世界では、このように若手が年長者に指導する関係性を**『リバース・メンタリング』**と呼びますが、ベンはそれを自然体で実践していたのです。
- 与える姿勢 (Giver): 彼は、見返りを求めず、自分の時間と知恵を惜しみなく提供しました。恋愛相談、書類の整理、コピー用紙の配達、そして人生の金言。彼は常に「テイカー(奪う人)」ではなく「ギバー(与える人)」でした。
- 敬意を忘れない: 彼は、年下の上司であるジュールズに「サー」と言い間違え、心から謝罪します。彼は、自分の経験を誇りには思っていても、それを振りかざして相手を支配しようとは決してしませんでした。
本音のツッコミ: 現実の職場で、もしシニアがPC操作にもたついたり、若者のスラングが分からなかったりしたら、「使えない人」「話が通じない人」というレッテルを貼られがちです。ベンが成功したのは、彼自身の努力に加え、彼を受け入れたジュールズや若者たちにも「度量」があったから。結局、世代間の化学反応は、どちらか一方の努力だけでは起こらない、という厳しい現実も忘れてはいけません。
なぜベンは”老害”にならなかったのか?—「紳士」であることの本当の意味
ベンの象徴である、スーツとハンカチ。これらは単なる古風なアイテムではありません。その本質は**「他者への準備と思いやりの表明」**です。
- スーツを着る意味: それは、相手への敬意と、「私は仕事の準備ができています」というプロ意識の表明です。
- ハンカチを持つ意味: それは、いつか涙を流すかもしれない誰かのための「準備」です。
"We carry it for them."
(彼らのために持つんだ) というセリフに、彼の哲学が凝縮されています。
彼は、自分の過去の成功体験(「俺の若い頃は〜」)を語る代わりに、相手を徹底的に観察し、その人が何を必要としているかを考え、行動で示し続けました。経験を「自慢話」の道具にするのではなく、他者を助けるための「知恵」として使った。それこそが、彼が「老害」ではなく、時代を超えた「紳士」であり続けられた理由なのです。
彼のように高齢者が生きがいを持ちながら社会に貢献し続ける在り方は**『生産的加齢(Productive Aging)』**という考え方にも繋がります。これは映画だけの理想論ではありません。AARP(米国退職者協会)の調査では、65歳以上の4割が何らかの形で働き続けることを望んでいるといい、ベンのように社会との繋がりを求める声は、決して少なくないのです。
まとめ:経験は古びない。誠実さは、時代を超えた最強のスキルである
いかがでしたか?
『マイ・インターン』の登場人物たちが、より生々しく、愛すべき存在として感じられたのではないでしょうか。
この物語が私たちに教えてくれるのは、どんなに時代が変わっても、テクノロジーが進んでも、最後は「人と人との繋がり」が、私たちを救ってくれるという、温かくも力強い真実です。
そして、ベンが体現した「誠実さ」「謙虚さ」「他者への敬意」は、決して時代遅れの価値観ではありません。むしろ、変化が激しく、誰もが不安を抱える現代において、それらは最も信頼され、人を惹きつける最強のポータブルスキルなのです。
あなたの職場に、ベンやジュールズはいますか? そして、あなた自身は、どちらの心に、より共感しますか?
ぜひもう一度、この視点を持って映画を観返してみてください。きっと、明日からの景色が、少しだけ違って見えるはずです。
コメント